pon0713’s blog

20代足の難病持ち男性の日記

大部屋での暮らし

前の話⇩

 

asibyouki.hatenablog.com

:注意

始めに今回傷口の写真が添付されているので、苦手な方は閲覧注意

しながらお読みください。画像の上下に余白が入れてあります。

再度注意も出るので気を付けて下へお進みください。

 

 

 

前回の出会い以降少しながら病院の生活に対して気が楽になってきた事もあり

のんびりと入院生活を送っていた、そして手術から1週間程経ったころ。

左足の太もも(患部)から出ていた管を抜くことになった、術後は体液が出る為

それを排出する為の管なのだがこれもずっと鬱陶しい物だった、取ってもらう分には

とても嬉しかった。多少の痛みはあったが、カテーテルに比べれば全然だ。

そして管を抜いてから数日。いよいよ患部を抜鉤(ばっこう)傷口を押さえていた

ホチキスの様な物を取れることになった。少し緊張するがその時を待った。

一本一本抜かれていくのが分かる。少し痛いがそれよりも今までガーゼで

隠されていた患部を見て痛みが増す。その時が初めて見たのだ。

言うならば手塚治のブラックジャックの様だった。

筆者はその足の見た目と少しの痛みに悶えていたが、医師は笑っていた。

筆者の付けているピアスの方がよっぽど痛いだろと笑われてしまったが、

視覚とは不思議だ数倍痛みの想像が膨らむ。

参考までにその抜鉤後の写真を添付するが、苦手な方は少し飛ばしてほしい。

 

閲覧注意だ、

 

この下にもう画像があるので苦手な人は目を閉じてスクロールしてほしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

汚い足を見せて申し訳ない。

抜鉤自体は5分10分で終わったと記憶している。

そんなこんなでいつも通りリハビリを済ませ、夕食を済ませ就寝した。

そして翌日筆者は機嫌が良かった。と言うのも術後初の風呂を許可された。

一番待ち望んでいた風呂に入れる。もちろん細心の注意をしなくてはならない。

左足は絶対に付けてはいけない条件があったがすぐに風呂に向かった。

正直どこの温泉で入るよりも気持ちが良かった。

それと同時に面白いくらい垢が一生出てきて驚いた、それ位汚れていたのだ。

そして体も清潔になり唯一不便な事は車椅子位であったが、もう一つ問題が。

筆者は喫煙者なのだが、そうタバコだ。無論院内では絶対に吸えるわけがない。

痛みと体の不自由さに意識が行っていたが、その瞬間吸いたい欲が爆発した。

そんな時友人からラインが届く、体調どう?などとても嬉しい連絡だ。

身内との連絡も落ち着いて取れる時に連絡がきて返信しようとすると

写真が添付されていた、タバコを吸ってる写真が送られていた。

もう友達やめたろうかと、思った。すぐさまナースコールを押した。

看護師に入院時に来ていたアウターを取ってもらった、タバコがしまって

あるからだ、吸うことは許されないが嗅ぐ事は禁止ではない、すぐさま嗅いだ。

しかしそんなことでまぎれる事もなくリハビリまでふて寝した。

今回はこの辺で終わろう。次回は車椅子で病院内の散歩について書こうと思う。

 

PS

全く関係ないが、ここ最近筆者の自宅に鳩が来るのだが、

どうにかならないものなのか?

対策としてふくろうの鳩よけなど置いてはみたが効果なし。

最近は筆者がほうきで追っ払っている。

なにかおすすめの対策があれば教えていただきたい。

 

次の話⇩

 

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大部屋での出会い。

前の話⇩

 

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大部屋に移り何日か経ち、足の固定具も就寝時のみでよくなった。

日中は少し過ごしやすくなった、しかし歩行は禁止、車椅子での生活だ。

そうなるとトイレなども移動してするようになるのだが、前にも書いたが、

カテーテルという物が、直接筆者の膀胱に入っているのだが、それをいよいよ

取り外す事になった。嬉しいと思うが、尿道に入った管を抜かれるのだ。

憂鬱と不安があった、そして看護師によって外す時が来たのだが、

まず新人っぽい看護師が外しに来たが、びくともしない。そして痛い。

先輩看護師を呼びに行った。そして先輩看護師が来て再度外しにかかる、、が

全く抜けない、言うまでもないが痛い、結構痛い。そして3人目

看護師のトップがやってきた。少し強めに行くとの宣言とともに外しにかかる。

はい、抜けない。もうまじで痛い。筆者は痛みと同時に看護師3名から下半身

丸出しで悶えてる所を見られる、屈辱の極みだ。

そして4人目別の患者の様子見で来ていた、そう、ドクターがやってきた。

そして慣れた手つきで抜きにかかる、激痛と共に何か取れた感覚があった。

歓声が聞こえその時やっと外れたと認識した。と同時に異常な痛みがあったが、

それもすぐに落ち着いた。管が1つ取れるだけでかなり動きやすい、嬉しさの方が

勝ったからだと思う。その後は小便は尿瓶排便はトイレですることが許された。

しかし数日間は血尿であった。その日だけはさすがに自分の陰部によく頑張ったと一言だけ伝えてみた。

少し話がずれてしまったが、時刻は昼過ぎリハビリの時間だ。前回よりも動きやすく

なったこともあり前回よりも膝を曲げる運動が始まったが、曲がりにくい事と

かなり痛い、しかし我慢しなくては今後のリハビリにも響いて来る為我慢した。

自分でできる自主トレーニングも教えてもらった。それが足の甲を持ってかかとをお尻に付けるように伸ばす運動だ、簡単な事だがまあ曲がらない。しかしやるしかない。

時刻は夕方前、看護師が訪ねてきた。車椅子で動けるようになったのもあり、

お久しぶりの洗髪ができると言うのだ。もちろんお願いした。

洗髪を済ませ、かなりスッキリした。そして時刻は夕方、夕食が届き、

今までトイレ問題で我慢していた食事を全て平らげる。

そして食後久々に外の景色でも見たいと思い、車椅子で渡り廊下へ向かう。

ガラス張りになっている為少し景色が見えるのだ、15分ほど景色を見て病室へ

戻ろうと思った時。廊下には何名か自主トレーニング(リハビリ)をしている

人がいた、昼間できなかった事と今後を考え筆者も音楽を聴きながら黙々と

足を曲げる運動をしていた。そんな時音楽を聴いている為外の声が聞こえないのだが、

顔を上げると一人の男性の方が、話しかけているようだった。

イヤホンを外すと、どんな病気ですか?との質問だった。

筆者は見た目的にあまり声を掛けてもらう事が少ないのだが、久々に看護師

以外の方と会話が出来て嬉しかった。そこから少しその方ここではMさんにしておこう

Mさんと談笑をしていた、すると風呂上りのもう一人の方ここではNさんにする。

話に入ってきた、ちなみにMさんは膝の手術で入院してリハビリ中だそうだ、

Nさんに関しては大腸ガンで入院だったと記憶している。

そして話を20分程してベッドへ戻ろうと思ったのだが、全員病室が一緒であった。

それも全員隣同士、それほど周りの事がわかっていなかったのだ、

しかしその出会いから憂鬱で暇な入院も少し気分的には上がり始めた。

今回はここまでにしておこう。

 

PS

これは少し質問なのだが、

このブログのPV数は多くて20行くか行かないか程度なのだが、

昨日26日に限ってはなぜか300を超えていた。嬉しい事なのだが

どういう事なのだろう、、

なにか分かる方がいれば教えていただきたい。

 

次の話⇩

 

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大部屋への移動2

前回の話⇩

 

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やっと術後の痛みからから解放された筆者は、大部屋に移り

前の老害が居ない事もあり悠々とすごしていた。

しかしその頃ももちろん主治医から制限がかけられていた。

筆者が寝ているベッドが電動リクライニングの機能が付いているのだが

その角度だけでも制限が掛かっていたのだ。

それもあり自由に身動きは取れない。

しかし、ずっと寝ているわけでは無い。

大部屋に移ってからリハビリが始まった。

リハビリと言っても、足を伸ばして膝に力を入れる動作をするだけ

なのだが、それだけでもかなり大変なのである、なぜなら

ずっと足を固定されて身動きが取れないのである。

前の話でもしたが、その状態で動くことがどれほど辛いか分かりづらい

と思うが、常人であればあ足が、いや手が痺れるなどその

症状に近いであろう。

ただ筆者は、その動作が気持ちよかった。

なぜなら今まで動かせなかった足を動かせるのだ。

これほどの快感はない。皆が手を挙げ伸びをするのと一緒で

窮屈からの解放である。

ただ前作からの地獄はどこに行った?と思われると思うが、

そのトレーニングはまだまだ序盤に過ぎない。

問題は足の曲げる運動だ。

ずっとベッドで真っ直ぐに伸ばしていた足を急に曲げるとどうなると思う。

もちろん曲がらない、それも気持ち悪いくらいに曲がらない。

痛いのだ。小学生位に前屈など柔軟なことをやらされたと思うが。

それに近い、限りなく近い。痛いとにかく痛い。

体が硬い時の痛みに近いただ行けなくもない痛みと言うのであろう。

そのトレーニングが始まってから痛みに悶えていた。

しかし再び歩くためにはしょうがないことだ。

そんなリハビリを送っていたところ新しい出会いがあった。

それに関しては次回書こうと思う。

 

PS

最近寒い日が続いているが昔もこんなにも

東京は寒かっただろうか?

疑問に思う。

また次回会いましょう。

 

次の話⇩

 

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大部屋への移動

前回の話⇩

 

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時刻は6時筆者は目覚めた、体は動かないが目は勝手に覚める。

そしていつも通り看護師が体調を確認に来る。

看護師から今日の午後から大部屋に移動になると告げられた。

正直なんとも言えない感情だ、なぜなら4人部屋でこんなにもひどい状況が続くと

思わないからだ。体が動かせるならまだしも、動かせない、場所を移動できない

状態でここまで4人部屋がひどいとは思ってもみなかった。

もっと静かに過ごせると思っていたからだ。

しかしこの状況を経験してから、大部屋に移動。正直これ以上悪くなるだろう。

それしか考えられなかった。

そしていつも通り朝食が届くがもちろん手はほとんど付けない。

そしてゲームをして過ごした。気づけば昼の時間。

筆者のもとへ看護師がきた。移動の時間だそうだ。

もちろん筆者は身動きが取れない為ベッドのまま移動になった。

移動中はかなり恥ずかしい、外来で来てる人にも見られるのだ。

と言うのも大部屋と4人部屋の病棟が別でありその移動の際、普通の外来等で

来ている人にもみられるからだ。細かく言うと筆者は昔から寝る際に、

ぬいぐるみが必須なのだが、おたまじゃくしのぬいぐるみを一緒にベッドに載せていた

そりゃ尚更見られるに決まっている。

そんなこんなで移動先の病棟に着いた。

ベッドからベッドに移動をしたのだが、その際に看護師にやってもらったが

自分の力も加えた、なぜか?少しでも体を動かすことが快感なのだ。

それ位拘束されていたからだ、そして新しいベッド(病床)に移り。

大場屋に入った。嬉しいことに前回話してないが4人部屋の時同様に窓際だった。

正直外に出れない分、外の景色が見れるだけで嬉しかった。

病床が移りまもなくして看護師がまた挨拶にきた。

例の説明がされる。しかし一番気にすることは過ごしやすさだ。

4人部屋で嫌な暮らしをしてた事があった為そこを気にしていた。

しかし、大部屋は思っている程静かではない。

ただそれは嫌なうるささじゃない。看護師の会話廊下での会話。

色々な物が混ざった言うならば、ざわざわ感と言うのであろう。

筆者からすると居心地はよかった。そうと決まれば

筆者は思う存分持ってきたゲームを楽しんだ。

気づけば夕方、夕食のじかんだその日は珍しく少し多めに食事を摂った。

その後は何もせず就寝を迎えた、そして翌朝。

リハビリが始まるのだがそれがかなりの地獄であった。

その話は次回書こうと思う。

 

PS

最近更新が遅くなってしまって申し訳ありません。

ちゃんとした記事を書こうと思いすぎ、更新頻度を落としました、

2日に一つ病気についてはあげたいと思います。

急に日常で面白い事があれば日常の事を書いてみるときもあるかもです。

それではまた次回。

 

次の話⇩

 

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手術後の話(やばい患者)

前回の話⇩

 

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例の老害が手術から戻ってきた。筆者と同様術後は下手に動けないのもあり

静かであった。安心して過ごし気づけば消灯時間である。

筆者も就寝しようとしたとき。向かいの列の真ん中辺りであろう。

電話をする声が聞こえる、まずその時点で非常識だと思うが、拍車をかけるのが

どうやら既婚者で、あるが不倫をしている内容であった。

相手は聞くところまだ学生であったがここではコンプラ的に控えておこう。

しかし4人部屋ではその声が響くのだ。筆者が持ち込んだ任天堂のスイッチの

ボタンでさえ響くような環境だ、電話など言うまでもない。

それに加えて気持ち悪い会話が聞こえる。それも性交渉関連の話だ。

筆者はとにかく寝る事に集中した。すると運よく電話が終わった。

やっと寝れると思った、その矢先隣の老害のいびきが始まった。

我慢ならなくなりナースコールを押した。

なぜなら持参した耳栓を取りたかったのだが、如何せん体を動かすことができない為

押さざる負えなかった。無事耳栓を取ってもらいその日は就寝した。

時刻は朝6時過ぎ看護師が体調確認に来る。平和だしかし

隣は平和でなかった、なぜなら好き放題やっているのである、老害が。

どうやら老害は内科系の手術を受けたそうなのだが、決められた食事のみ

摂らなくてはいけないそうなのだが、甘い飲み物やら買い込んで飲んでいたそうだ。

それには看護師もブチギレであった。しかしそこで言う事を聞くのは常人であり

老害はそうはいかない。反抗しまくりでとにかくうるさい。

体さえ動けば言いに行きたい位だ。

しかし看護師に相当叱られ少し静かになった。

その後看護師から各患者へ謝りに来られたが、筆者は一言ありがとうございます。

と伝えた、大変な仕事である、面倒を見てもらっているのに、反抗するのは

中学生位の者であろう。その後はかなり平和に過ごせた。

しかし問題は消灯後だ、問題の電話がまた始まった。

いい加減にしてほしいと思った時。看護師から注意を受け

待合室で電話をするように変わった。最高だ。

やっと療養と睡眠に専念出来る。その日はそのままゆっくり眠りについた。

今日はこんな所で終わろうと思う。

今回で4人部屋での話は終わろうと思う。

次回からは大部屋での話を書いていこうと思う。

PS

ブログから交流の場を設けたりすることはあるのだろうか?

もし同じ病気を持っている方がいれば是非話を聞いてみたい。

該当する方がいればコメントに良ければ書き込んで頂けるとありがたい。

 

手術後の話(老害が来た。)

前回の話⇩

 

 

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筆者はとりあえず痛みが和らいだ事もあり、少し落ち着いていた。

15時頃新しい患者が来た。会話を聞いてる感じ入院慣れしている感じだった。

あしらうように看護師からの説明を聞いていた。

そして明日手術を控えているそうだ、どこを手術するまでは覚えていない。

しかし色々制限が設けられているようだ。おそらく内科系であろう。

まあその辺は適当に流していた、あくまで他人だからだ。

そして就寝前、病室の患者がゆっくり過ごしていると、

看護師の怒号が聞こえた。○○さんなんでコーヒー飲んでるの!!

当たり前だ術前は絶食なのだ。

そんな声が聞こえその老害は謝るどころか、甘いコーヒーだから

もんだいは無いと言い張るのだ、、、いいわけねえだろ

心の声を抑えながら眠りについた。

しかし朝また看護師の怒号が聞こえる。

朝起きてまたコーヒーを飲んでいたようだ、呆れる。

しまいには看護師からまた怒られるしまつ、。

しかしそれに反抗する老害、筆者は我慢ならなくなり、舌打ちをした。

恐らく皆その場面にいればそうなることはあると思える。

少しだけ静かになった老害は手術室へ向かった。

頭がおかしい老害である、束の間の静かな空間だ。

安心した、その時だもう一人とんでもない患者がいた。

今日は頭が回らない為このへんにしておこう。

PS

私事だが筆者の母が誕生日を迎えた。

久々に家族揃って酒を交わしたがいいものだ、

と言うのも筆者の母はもう還暦を超えている。

あと何回祝いができるかは分からない、しかし

一緒に飲むのは楽しい、それといつどうなるか分からないことを

この歳になると考えていこうと思った。だからこそこの時

この時間を楽しむべきだと思う。

しょうもない事をたらたらと失礼、ここらで今日は終わろうと思う。

次の話⇩

 

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手術後の話2

前の話⇩

 

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時刻は夜中の2時頃。激痛で目が覚めた。

夜中の病室で痛みと声をこらえるのがやっとだったが、痛みには強い方だと

思っていた為少し我慢をしたが、小さい声でいてぇえと声に出さないと

気が済まなかった、いよいよ我慢ならなくなり、ナースコールを押した。

すぐに看護師は来た。とにかく痛いから痛み止めの点滴を入れてくれとお願いした。

少しにやついてたのが腹立って仕方なかったが、そんなことよりとにかく

この痛みから解放されたかった。そしてお願いしてから急いで来てくれたと思うが。

痛みのせいで体感30分はあった気がした。そして点滴を入れてもらい

効果が出るまで約15分あるそうだ。しかし痛みは少ししか和らがない。

しかしどうにもならない為、結局4時半頃まで起きていた。

眠さより体力の限界で寝たんだと思う。

目が覚めると、時刻は7時前ナースの朝の体調確認で起きた。

その頃には痛みはほぼ無かった。痛みが無いだけまだ安心した。

そんな時向かいのベッドから声が聞こえる、どうやら今日退院するそうだ。

羨ましい限りだ、筆者は入院3日目だったが既にホームシックだった。

そんな事を考えていると、朝食が運ばれて来た。絶食をしていた為食べたいと

思うはずだが食べたくなかった、空腹が続きすぎてしまうと逆に食べなくても

筆者は大丈夫なのだが、理由は別であった。汚い話だが排泄の問題だ。

と言うのも筆者は寝たきりを術後5日程度しなくてはならないそうだ。

ではその間の排泄はどうするのか?もちろん看護師が来て何かしてくれるそうだが

筆者はまだ若い、正直屈辱に感じる。それだけは回避したかった為、食事は

極端に取らないようにしていた。排尿に関してはカテーテル(直接膀胱へ管を入れる)

をしていたので勝手に垂れ流しされている。ただカテーテルも最悪だった。

ずっと尿意があるが出てるんだか出てないんだか分からないのだ。

決して漏らしてる訳ではない、しかしそんな感覚で勝手に出てくる。

そしてもう一つ寝たきりだともちろん風呂には入れない、看護師が体を拭いてくれる。

しかし陰部も洗浄されるのだが、たまたま年下位の看護師がやることになったが

それもそれで少し嫌な気分である、向こうは仕事と認識していると思うが、

筆者は自分でやりたかったが、拒否された、仕方なく洗浄をしてもらった。

時刻は12時昼食が届いたが、もちろんあまり手は付けなかった。

午後は何もする気が起きず、ただずっと寝ていた。そして15時頃新しい患者が

隣のベッドに入ってきた。その患者がかなりの老害であった。

その話は次回書くことにしよう。