pon0713’s blog

20代足の難病持ち男性の日記

手術後の話

前回の続きである。

 

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手術が終わり目を開けたのは病室のベッドと言いたいところだが。

実際は手術室であった。ここからは記憶が曖昧なのだが、まず目を覚ますと

筆者の名前を呼ぶ声と共に口の奥から長い管が抜かれた、おもわずえずく。

えずきながらも手術が終わりましたと声を掛けられた。

そこで筆者はまた麻酔にかかったように意識が飛んだ。

気づくと病室のベッドの上にいた、時刻は看護師に聞き16時だったと記憶している。 とにかく記憶が飛び飛びで頭で考えてもよくわからなかったが、

ベッドにいると言うことは無事終わったと実感した。

とても安心したしかし、安心したのも束の間。

急激な吐き気に襲われた、これは麻酔の副作用らしい、すぐに看護師を呼んだ。

しかしひどいものでその吐き気止めの点滴を打つと痛み止めを使うことができないのだ鬼畜だと思った。吐き気はいずれ落ち着くにしても痛みはいつ来るか分からないからだしかし筆者は嘔吐をすることが一番嫌いな為なくなくお願いして、痛み止めを止めて。吐き気止めを点滴に入れてもらった。しかしさらに問題が、筆者は体の三か所から管が出ていたのだ、当時筆者の体には左足付けねから管が一つ、そして点滴、

汚い話だが股間からも一つ、そして足を固定している状態でいたのだ。

例えで言うとテトリスと言うゲームはお分かりだと思う、そのカタカナのトの様な

形のブロックの形をしたでかい固定具を足に固定されている状態だ。

それに加えて手術後はアナフィラキシーショック血栓ができ肺に回る症状)

を予防するための足を圧縮、収縮を繰り返すマッサージ機の様な物まで取り付けられていた、身動きもクソもない。しかし家族や友人、職場の人へ連絡をしなくてはいけない

と思い吐き気が収まってからは、連絡の返信を始めた。

しかしそこまでの体力はなかった、だが彼女からのと母からの手紙を預かっていて

術後に読んでほしいとのことだった為、読んだ。少し落ち着きがでた。

しかし気づけば食事の時間だがもちろん食欲はでない。

手術とはあんなにも体力を使うものだと思っていなかった。

少し手術と言うものを舐めていたのかもしれない。

食事もあまり食べず、なにもせず気づけば消灯の時間だ。

もちろん風呂など入れない。そのまま就寝した。しかし、、

目が覚めたのが2時まえと言ったところだろう、寝すぎで起きたのではない。

痛みで目が覚めたのだ、初めての体験であった。皆が思う痛み各々あると思う。

筆者は高校生の時バイクで単独事故を起こしたことがあるが比べものにならない。

生涯感じた痛みで一番だと思う。

しかし原因は明確だ。痛み止めを止めていたからだ。

今回はここまでにしておこう。

 

次の話⇩

 

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入院生活開始

前回からの続き

前回の話⇩

 

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まずは持ってきた荷物の整理を始めた、前回書いた通り4人部屋に入ったのだが。

かなり収納スペースがある為、どこに何をしまうか悩みながら入れていった。

しかしそんな事をしていると看護師が来た、自己紹介のようなものだ、責任者の

〇〇です、担当看護師の〇〇ですなど、やる決まりなのでしょうがない。

そのあとも色々と説明を受けた。消灯時間や施設案内あとは禁止事項そんなところだ。

しかし時間がかかる、時刻は15時途中で終わっていた荷物整理を再開する。

あらかた荷物整理が終わったので携帯で動画などを見て過ごしていると、風呂の案内に

看護師が来た、どうやら予約制だそうだ、ほとんど埋まっていた為最後に入ることに

なった。時刻は17時前何やら廊下が騒がしい、食事の準備が始まっていた。

食事は朝昼晩共に二種類から選べるのだが(一週間に一度まとめて選択し提出する)

当然初日の為選ぶ事などできていない、和食だったと記憶している。

17時食事を始めた、味がしない、おかずの味がしない事があるのか?。

おかずになっていない、薄いあじの物体である。しかしご丁寧にも白飯はかなりの量だ

当然進むわけもなく、みそ汁をかけて無理やり流し込んだ。

そして少しゆっくりして風呂の番がやってきた。ネットカフェの風呂と言えば

想像ができると思う。筆者少々潔癖の為他人の毛が落ちているのが気になったが、

致し方ない。風呂を上がりベッドでダラダラしていると看護師が消灯の時間を知らせに

各病室へ周っていた。時刻は21時かなり早いがしょうがなく床につく。

まあ予想通りだが、全く寝れない。慣れない場所というよりは、術前の緊張であろう。人生初の手術など緊張しない方がおかしいと思う。だが不思議な物で時間が経てば

少しづつ睡魔がくる。そのまま気づけば眠っていた。

翌朝目が覚めると時刻は6時30過ぎ。看護師が体温と血圧を測りにきた。

その後手術前は絶食の為朝食が届く事は無く、看護師から手術の説明と準備をするよう言われた。時刻は9時前手術開始は10時を予定している為そろそろ迎えが来る

その頃からだと思うが、緊張が増していった、そしていよいよ手術室へ向かう。

皆一度は医療ドラマを見たことがあるだろうか、見た目はまんま同じだが

少し引く位でかい扉があるのだがそこに入るともう緊張が不安へ変わっていくのだ。

いよいよ手術台へ横になった。本日助手を務める〇〇ですと言われたが

知らん、覚える余裕もなかった。そのまま酸素マスクのような物を深呼吸するように

言われその通りにする。筆者は麻酔に落ちた。

今回はこの辺で終わろうと思う。

次回は手術終了後から書いていこうと思う。

次の話⇩

 

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入院前日の話

前回の続きと言うか。少し先に進んでいる。

 

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色々とあったがいよいよ入院日前日である。病院にてCTを撮る。

CTの結果は問題なく明日入院することになった。帰り道足取りは重い。

なぜ?それは不安が大きいからだ、しかし決まったことは仕方がない。

そうなれば気を何か紛らわせるような事をしなければならない。

筆者は前にも書いた通り酒が好きだ、入院すれば当然酒も飲めない、無論煙草もだ。

そうと決まれば帰りに晩酌の為の買い出しに向かった。

飲みたい物を何も気にせずたくさん入れた。そして時刻は16時半、そろそろ早めだが

晩酌の準備を始めた。つまみを準備し17時すぎから飲み始めた。

しかし不思議なものだ、酒が進まないのだ、いつもであれば美味しく感じるはずの

ビールがあまり美味しくない、しっかり冷やして美味しく飲める状態なのにだ。

酒を飲み進めても酔わない、考えないようにしていても頭の中で明日入院という事

加えて手術、そこで改めて実感する、自分は病気だと。結局4時間ほど飲んでいたが、

飲んだものはビールのロング缶一本であった。不思議なものである。

時刻は22時そろそろ明日に備え早めに就寝することにした。

翌朝8時起床。入院時間は14時頃を予定していた為、昼頃家を出る事にした。

その日は母ちゃんと姉貴も付き添ってきてもらった。病院に着き手続きを済ませ

時刻は13時。時間は少しあった為近所のカフェにて遅めの昼食をとることにした。

食欲は死ぬほど出なかった、サンドイッチを半分くらいは食べたと思う。

時間は残り15分程度あった為、最後の一服へ向かった。

あまり味は覚えていない、急いで吸ったこともあるかもしれないが。入院したくない

気持ちが上回っていた。しかし時間は進んでいくのだ。

時刻は14時いよいよ受付だ、病室は大部屋を希望していたが、空きがなかった為

空きができるまで4人部屋で生活することになった。筆者は4人部屋が初めよかったが

金銭面で厳しい為大部屋にしたのだが、正直少し得した気分ではあった。

そして4人部屋入り口、自動ドアで施錠されている。インターホンを押し扉が開く。

看護師が迎えに来たが、高圧的な感じであった、ストレスが溜まっているのであろう。

命の母でも差し入れてあげればよかった。

そこで母ちゃんと姉貴とは別れいよいよ入院がスタートした。

今回はこんな感じで終わろうと思う。

次回は続きから書いていく。

 

次の話⇩

 

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入院前の生活(北国編 後編)

今回で北国編は最後になる。

前回からの続きである

 

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三日目の朝、時刻は9時少しだるい感じもあったが、最終日の為早めの起床だ。

すぐに居間へ向かう、ばあちゃんがちょうど日中の施設へ向かう準備をしていた。

今日で帰ることを告げると、悲しがっていた、それと同時に次はいつ帰ってくるか?と

聞いてくる、しかし手術前の筆者には答える事が出来ない為、またすぐに帰ってくると

伝えた、しかし頻繁に会えるわけでは無い、会える時に会うべきなのだ。

そんな話をしていると、玄関から声が聞こえた。

施設の職員がばあちゃんを迎えに来た、筆者と従兄弟で玄関へ向かう。

職員の方へ孫であると挨拶を交わし、昨日のばあちゃんにあげたアクセサリーの

話を聞いた、どうやら筆者が渡したアクセサリーを施設の方に自慢して見せてくれて

いたそうだ、嬉しそうに見せていたそうだ、筆者も嬉しかった。

そんなこんなでばあちゃんとはそこで最後の挨拶をした。

昼食を済ませ時刻は13時、そろそろ帰りの準備を始めた。

従兄弟の仕事に合わせて、新幹線の時間が少し早めであった、爺ちゃんに線香をあげ

挨拶をして祖母宅を後にした。

時刻は14時、土産物を買いに近所のイオンへ向かった。

イオンで買い物を済ませ、駅まで叔母が送ってくれた、叔母へ別れを告げ従兄弟と

新幹線の待合所へ向かう、帰りの電車での食事などを買い、新幹線に乗り込む。

軽く新幹線内で飲みながら話をしていると、気づけば都心へ着くころであった。

従兄弟とは下車する駅が違う為新幹線内で、別れた。

都心に着くと寒さが少し和らいだように感じた、しかしそれ以上に少し寂しさも

感じたが、なぜか東京にいる方が安心した、慣れ親しんでいるからだろう。

時刻は18時半自宅へ着く、急に疲れが来る、夕食を済ませその日は早めに

就寝した、良いレム睡眠だったと記憶している。

北国編 完

 

 

今回で北国編が終了した、次回南国編(母の故郷)を書こうと思ったが先に

このブログの趣旨である、筆者の入院と手術の事を書いていこうと思う。

筆者の慣れない文を読んでいただき、読者の方には感謝してます。

 

また次回。

 

次の話⇩

 

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入院前の生活(北国編中編)

今回からまた病気関係の話に戻そう、前回の続きの為下に貼っておこう。

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朝方まで楽しい時間を過ごした筆者は死んだように寝た。

そして死んだように起きた、二日酔いであった、時刻は昼12時を回るころだ。

二階の寝室から居間に向かった、灯油ストーブの匂いと共にばあちゃんの

姿が目にはいり改めて帰ってきたことを実感した、耳は遠くなった為話は大声で話す。

しかしばあちゃんは方言が強い為筆者も全てを聞き取れる事はない、しかし従兄弟や

叔母が通訳してくれる何とも面白い光景である、しかし話ができるだけ筆者は楽しかった、ばあちゃんは色々と自分の私物を見せてくれた、おしゃれが好きでよく大きな

指輪をしていたが最近はよそに行く事が少ない為あまり付けないそうだ。

筆者もアクセサリーをよくつける為見せてあげると、一つ気になるブレスレットが

あったようで、おばあちゃんにあげた、数分してから日中だけ老人ホームの

ような所に行くそうで喜んで付けていった、嬉しい限りである。

そんなこんなで時刻は13時といった所だろう、酒を抜くために風呂に入りに行った。

風呂を済ませ居間に戻ると叔父と叔母から昼食を食べに行こうと言われた。

正直酒が残っているため食欲は無いが食べなければ余計に残ってしまう。

そうすると冷麺が美味しい所があるそうで四人で車で向かった。

冷麺ならさっぱりしている為問題ないとは思ったが、並盛でもかなりの量があり、

それを食べるので精一杯だったが追加でホルモンまで頼んでくれていた為、少しだけ

頂いた、従兄弟には申し訳ないが、押し付けてしまった。反省している。。

店を出て車で祖母宅へ戻る、時刻は15時、従兄弟から飲みに行かないか?と

誘われた、と言うのも、毎回帰ると立ち寄る居酒屋があるのだが、そこに筆者が

行きたいと言っていたのを覚えてくれてたそう、しかし酒は抜けきってない為、

少し休憩をしてから行く事にした、人気店の為入れるかは運だがしょうがない。

そして時刻は17時半というところ、そろそろ向かうことにした。

車で叔母が送ってくれた、帰りにまた迎えに来てくれるそう、ありがたい限りだ。

そして従兄弟と二人サシで語り合い飲んだ、筆者は迎え酒の為最初こそ進みが悪かった

がある程度飲んでいれば二日酔いの事など忘れていた、そして仕事の話や病気の事

最近の近況などの話を肴に飲んでいると、気づけば23時前である、そろそろ叔母へ

連絡をと思ったが、二人とも出来上がっていた為、カラオケへ向かった。

一時間楽しく歌って過ごした、あっという間に10分前の連絡が来たため早々に店を

後にする、しかし時刻は0時になろうとしていた、さすがにこの時間に迎えの

連絡をするのは遠慮する、二人でタクシーで帰ろうと決めた、しかしここは都内では

ない、当たり前にタクシーが走っていない、アプリを使ったが全く反応がないのだ。

絶望である、おそらく外気は0℃近かったと思う、しかし楽しい酒の代償と思い、

従兄弟と歩きで帰路についた、しかし如何せん寒いのだ、途中コンビニを見つけ

少し休憩と暖を取った、すると叔母から連絡が、連絡が来なかった為心配で

電話をくれたのだ、そして迎えに来てくれることになった、結果迷惑をかけてしまった。 しかし無事凍死を免れた、大袈裟かもしれないが、本当にその位厳しい

寒さであった。

そして祖母宅へ日付をまたぎ1時に帰宅した、すぐさま風呂に入り前日同様。

死んだように就寝した。

少し長くなったが2日目はこんな所であった。

次回は最終日について書いていこうと思う。

次の話 ⇩

 

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日常生活(仙台編後編)

前回の続きである。

 

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夕方頃仙台に到着し、まずはホテルへ荷物を置きに向かった。

荷物を置いて早速店舗へ向かった、まずは皆さんと挨拶を交わし、友人が

商品について店舗の方へ伝えていた、その間筆者は知識が乏しく何も出来なかったが

友人の説明している姿をみて、新鮮な気持ちであった、その後お偉いさん方が入店

されていたが、そこで挨拶周りをさせてもらった。そんなこんなで時計は23時前といったところであろう、その日なんだかんだ飯を一食も食べていなかったため、店舗の方と

食事に行く事になった、ギリギリラストオーダーには間に合い焼きそばをいただいた。

その後酒を飲める場所を探した、筆者はスナックが好きなのだが、田舎にはそれなりに

スナックの数が多いが一見さんお断りのお店が非常に多いのである、結論から言うと

全敗してしまった為、ダーツバーのような所で飲むことになった。

3名で伺ったのだが筆者はダーツでも負けたのである、スナックにも負けダーツにも

全敗したのである、悔しいがそんな日があっても良い、楽しい時間であった。

3時ごろ退店し、ホテルへ4時前頃到着した、友人は寝不足もあり、到着後すぐに眠りに

ついていた、筆者は店舗での説明出来ないことを思い出し、ノートに色々とまとめ

始めた、そんなこんなで時刻は5時すぎ位になっていた、そろそろ睡眠についた方が

よい、しかしなかなか寝付けないのもあり疲れはあまり取れた気はしなかった。

目が覚めたのは10時頃だったと思う。準備をして再び友人と店舗へ向かった。

そして前日同様に友人が説明をしているのを隣で聞いていた、早い所力になれないのが

非常に悔しかったが、それもまた勉強であると思う。

そんなこんなで時刻は17時前だった、新幹線の時刻も迫っているのもあり店舗の方々

に挨拶を済ませ、急いで駅へ向かった、牛タンを食べて帰ろうと思ったがそんな時間も

無く駅の中で牛タン弁当を購入し、新幹線の中で食した、そして都内に着き友人と

解散した、筆者も足早に最寄りへと向かった、しかし最寄りに着くと安心感があり

馴染みの店に向かった、一軒で帰ろうと思っていたが、気づけば三軒ほど行ってしまった、いい時間であった、しかし疲れが取れない為今日はこの辺で終わろうと思う。

 

日常生活(仙台編)

今回は病気の話ではなく日常生活に

ついて書いていこうと思う。

今日は仙台へ向かうのだが、無論遊びではなく

言うならば仕事に近いだろう。

と言うのも筆者会社には在籍しているが現在

休職中である為足の具合によっては色々と

考えておく必要があると思う。

そうなった時嬉しい事に友人数名が働き口を

紹介してくれたのだ、人脈は大事である。

今回はその一つなのだが、仕事内容は簡単に

言えばアクセサリー関係の仕事なのだが、

今日仙台にある店舗に友人の買い付けた

商品が並ぶ事為、店舗様子とオーナーさん

への挨拶で向かう事になった。

しかしまだ在籍しているのになぜ挨拶と

思われる方もいるかもしれないが、仮に

仕事を請け負うとなれば顔を合わせてるか

合わせてないかで印象はまるっきり違うと

筆者は考えている。

名前だけ知っていたとしてもその人とは

顔を合わせて会話をするなどしない限り

内面はわからないと思うからだ。

しかしもし今回携わらない事があったとしても

その人の記憶の隅にでも覚えてくれていれば

また自分が困った時にもしかしたら何か

仕事を与えてくれる可能性が0ではないと

自分では思っている、だから仙台へ足を運んだ

のである。

今日はこんなところで終わろう。

(X)旧twitter に写真を載せようと思う。

暇があれば覗いて欲しい。

明日は今日の夜の出来事を書こうと思う。

#特発性大腿骨頭壊死
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#指定難病

#仙台