pon0713’s blog

20代足の難病持ち男性の日記

入院前の生活(南国編終了)そして近況

前回の話⇩

 

asibyouki.hatenablog.com

最終日、いよいよ東京に帰ることとなる。

飛行機の時間は夕方前と少々時間があり、海原が見える公園へ

おば娘、そして孫2人を連れ向かった。名前では知っていたが筆者も訪れるのは

初めてである。車を走らせ40分程で到着。絶景と言われる場所へ向かう。

その写真を貼っておこう。

どこまでも続いていく海が本当にきれいだった。写しきれていないが、どこを見ても

この景色なのだ。初めて来たら是非訪れるべき場所だと思う。

その後皆で空港近くの大型スーパーへ向かい少々お土産を購入した。

子供たちにはアイスを買ってあげた。喜んでいたからよかった。

そんなこんなでそろそろ空港へ向かう時間が迫ってきた。

足早に向かう。しかし筆者飛行機の時間を見間違えており搭乗手続きがすでに終了

していたのだ、流石に焦る。機械へバーコードを通すも反応なし。

その時スタッフが駆け付け何とか搭乗に成功する。最後までバタバタである。

飛行機が出発する。帰りは成田空港だ。不思議な物で帰りはあっという間である。

飛行機を降り荷物を受け取り足早に自宅へ帰る。

安心からだろう、どっと疲れが出てくる。

飯を食って就寝する。

 

南国編少々早足で書いてきたが今回で終了となる。

と言うのも近況報告も色々とあるのだ。

まずここ最近更新が遅れていたが、入院前に色々な人と予定を入れていた為

かなり忙しくあったことが大きい。決して体調が悪いなどと言う事ではない。

そして近況だが本日から入院している、なんならこの記事も病室で書いている。

そして明日手術を予定しているが、前回の経験上術後はかなり体力的にしんどい。

おそらく死んだように寝ていると思う。もし元気であれば明日。

無理であれば明後日位に何か現状報告をしていこうと思う。

 

PS

同じ看護師に担当してもらえている為気楽に過ごせている。

また同じところだよ(病床)と看護師に言われたが逆に覚えてる位の

入院だったのであろう。

では、また。

入院前の生活(南国編5)

前回の話⇩

 

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海を見ながらおにぎりを食べる。島に来ればいつもしていたことだが。

冷静に考えるととても贅沢な事だと思う。大人になってからそう感じた。

少しばかり海の近くへ。当然海には入らないが、生き物が砂浜にはいる。

特にヤドカリが多いと思う。大きい物から小さい物まで様々だ。

子供に戻ったようにはしゃいでいると気が付けば夕方4時半。

海の奥に夕日が見える。そろそろおじの家に帰ることにした。

しかし帰りに行きたいラーメン屋があった。

小さい頃島に着くと筆者家族やおじ家族皆で食べに行った思い出の場所だ。

筆者の姉貴に関しては好きすぎて、2日連続で行くほどである。

そこのラーメンの少し変わっている所で言うと、唐揚げである。

ラーメンに唐揚げが入っているのだが、その唐揚げが意味わかんないほど美味い。

もっと言えばラーメンは是非塩を頼んでほしい。醤油も頼んだが唐揚げに合うのは

絶対に塩である。いま書いてるだけで食べたくなってくる。

おばにお願いし、ラーメン屋へ向かう。

いつも混んでいるが夜の部オープンと同時に向かった為すぐに入れた。

注文は一択。唐揚げラーメン塩。唐揚げは一つが大きい為おばと一つずつ食べた。

しかし思い出の味と思っていたが、それよりも単純にすべて美味かった。

ラーメンの写真⇩

本当はもう一つ唐揚げが乗っているのだがおばに渡した後でなくなっている。

夢中で食べて5分程で食べ終えてしまった。

時刻は17時半そろそろ、おじ宅へ戻ることにする。

おじ宅へ到着、仕事を終えたおじも帰宅してビールを飲んでいた。

筆者も便乗する。すると近所の筆者の従姉の家で飲むことになった。

まだ18時過ぎおばに車の運転をお願いし、3人で向かう。

時刻は19時。従姉の家へ到着、最近結婚した新婚さんなのだが。

旦那さんがある知り合いの社長から家を受け継いだのだが、大豪邸である。

そもそも廊下が以上にながい。縁側もついていて庭はちょっとした庭園だ。

何より驚いたのは、お手洗いが男性用、女性用で分かれている。

これには驚きである。おばが作った料理も広げ宴会を始める。

何より前も言ったと思うが、筆者は親戚が多いのだが、その従姉とは小さい頃から

面倒をよくみてもらっていた、東京に来たときは朝まで筆者の実家で飲んだのも

懐かしいしかし筆者は当時小学生もちろん飲んでは無いが、ずっと話をしていた。

そんな事を思いつつ皆で楽しい時間を過ごした。時刻は22時半。

長居するのも申し訳ない為おじ宅へ帰る。

おじ宅へ戻り明日は東京へ帰らなければならない、少し寂しく感じる。

おじの部屋で2人しっぽり飲むことにした。色々な話をした。仕事のこと。

昔若い時の話やおばとの馴れ初めなど。いい時間だ、そしていい酒を飲んだ。

その時の写真を載せて今日はこの辺で終わろうと思う。

PS

カラオケの話の続きだが、中学生になると変声期もあり声が出にくく感じるのだが、

筆者中学の時によくいじられる時に高い声で叫ぶと言うことをしていたのだが。

それが実はミックスボイスと言われる声の出し方につながり。

キーが高めの歌でも歌えるようになったのだが、今思えばいじってくれてた人には

感謝である。しょうもないことを失礼。

 

手術前の生活(南国編4)

 

前回の話⇩

 

asibyouki.hatenablog.com

 

目を覚ますと時刻は11時前、夜中まで飲んでいた為二日酔いである。

居間に向かう、おじは、仕事へ、おばだけがいた、二日酔いでしょ?と

開口一番言われる、もちろんその通りだ。

するとおばが鶏のスープにそうめんを入れて出してくれた。

二日酔いにはこれが最高だ、これでいい、これがいい。

そうめんを食べ終わる。時刻は12時前。今日はやることが決まっている。

祖母の墓掃除だ、と言うのも直近で13回忌だったのだが筆者は参加できなかった為

祖母への挨拶もかねて掃除をさせてもらった。

13時筆者の母の姉2人が車で迎えにきた、そのまま墓地へ向かった。

夏場程雑草は多くはなかったが、墓掃除は結構体力を使う。特に腰に来る。

だが先祖を大事にする心は忘れない良い事だと思う。

40分程で掃除は終わり3人で写真を撮った。下に貼っておこう。

ちなみに左端に見える小さな木なのだが実は桜の木である。春になると少しだが

花が咲く、丁度今頃咲いているはずだ。

墓掃除も終わり。墓の前で手を合わせる。時刻は14時30頃。

少し動いたのもあり小腹が減る。墓地に向かう途中コンビニでおにぎりを買っていた。

ここから近くに昔よく来ていた海水浴場がある、そこで少し休憩することになった。

車で向かう。時刻は15時前、降りた瞬間に海独特の匂いを感じる。

とても懐かしく思ったと同時に子供の頃の記憶もよみがえる。

恥ずかしながら出身が島であるのにもかかわらず、筆者カナズチなのだ。

今でも覚えているが、ベッド型の浮き輪をご存じだろうか?プカプカ浮きながら寝れる

ものなのだが。筆者泳げない事と当時幼稚園児だった為大きさ的にもイカダほどに

なるのだが枝を使い沖に向かったのだ、それも一人で、当時おじ、おば、姉貴、

この3人と一緒に来ていたが、沖から筆者が戻れないのをおじ、姉貴で助けに

来てくれた。しかしそこが幼稚園児である、わざわざ沖で姉貴にちょっかいを出し

案の定突き落とされる。筆者沈没である、海に沈んでいく光景は今でも鮮明に覚えている。 時間にして3秒位だと思うが体感3分に感じた。するとおじが腕を引っ張り上げ

何とか生還したのだ、それ以来筆者は島では釣りばかりするようになった。

その後もプールなども行かなくなった。苦い思い出だ。

そんなことを思い出しながらあいにく快晴ではないが、海を見ながらおにぎりを頂く。

海の写真⇩

少し長くなってしまった今日はこの辺で終わろう。

 

PS

かなり間が空いてしまったが最近、立て続けに予定が集中しており

なかなか書くタイミングが取れず今日になってしまった。

さて最近の出来事で言うと、この歳になっても食べたことがない物が色々とある。

決して嫌いだからとかそう言ったことではなく、食べるタイミングと言うのか。

ちなみにそれが、小肌、なまこ酢、カラスミ。なかなか食べるタイミングが無い

結果的には全部好きな感じではあったが、なまこ酢以外は比較的生臭さを感じた。

カラオケの話は次回書きます(笑)

 

入院前の生活の生活(南国編3)

前の話⇩

 

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二軒目のカラオケバーへ向かう。

筆者も少し酒が入り、三姉弟へ話しかける。

そこで前回話したおば妹の子供と遊んだ。

しかしそこで驚いたのは普通は思春期になると男女ともに

〇〇兄ちゃんだとか言われても分からないものであるし

あったとしても少し言い方が悪いがぐれたくなるものだと思う、

しかしその三姉弟は違うのだ。

少し緊張をしていただけで、話しかければそんな事はなかった。

弟は前日に会ってゲームをしているから大丈夫であったが

年頃の女の子は分からない、しかしその姉2人も一緒に話をして

〇〇兄ちゃん(筆者の名前)を呼び一緒に遊ぼうと誘ってくる。

先ほども言ったようにカラオケバーだが、ゲームもたくさんある。

皆ダーツはやったことあると思うが、それを銃でやった事はあるだろうか?

まあ銃と言ってもレーザー銃なのだが、それを三姉弟と4人でやることになった。

子供相手だからと言っても筆者は大の負けず嫌いの為、大人げないが、

完全に勝ちに行った。しかしこれが意外にも難しい。

完全にハンドガンの形のレーザー銃だが筆者は完全にスナイパー

もはやゴルゴ13である、

まあ負けた、子供は強いあんなにも強いと思わなかった。

しかし本気でやって負けて、子供たちも少し気を許してちょっかいを

出してくるようになった、一緒に写真も撮ったがここではやめておこう。

しかし前のように寄ってきてくれるのは、筆者としてもとても嬉しかった。

そんな事をしていると気づけば23時、おじとおばは一足先に帰るそうだ。

それに乗っかって帰ろうと思ったが、おば妹がまだ飲むというので

残った、そこからはカラオケを歌い楽しんだ。

しかしなぜだろう、少し酔いが回っている、そう、ショットを飲んだのだ。

罰ゲームでも何でもない、皆で乾杯でテキーラを飲むのだが、皆強すぎる。

筆者も5杯程は飲んだと思うが、それ以上飲んだら人として終わってしまう。

しかしその少しの酔いの中気持ちよくカラオケを楽しんだ。

筆者は安全地帯が大好きなのだが、あんなにも気持ちよく歌ったのは久々だったと思う

しかしそんなことをしていると時刻は2時、そろそろおばの妹がダウンしそう

だった為店を後にする、タクシーを捕まえおじ宅へ向かう。

その日は歯磨きをして即床についた。

今回はここまでにしよう。

 

PS

筆者はカラオケが大好きだ、しかしそれも昔から好きなわけじゃない。

さいころは親の飲み会に連れていかれて、おつかいありさんと言う

まあ童謡のような歌だけ歌っていたが、一番大変だったのは

小6の時に友達とカラオケに行こうと誘われた、その時筆者は

何にも歌えなかった。恥ずかしかったんだと思う。

そのあと中学に上がり少し転機とまでは言わないが、カラオケの

楽しさを知る。後書きだから次の話の時に続きは書こう

 

 

 

入院前の生活(南国編2)

今回も南国編の続きを書いていこうと思う。

見てない方は下に貼っておくので良ければ見ていただきたい。

 

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夕方から始まった宴会も楽しんだ、そしてやはり話は病気についてかと

思うが、うちのおじは大勢の前ではそのような話はしない性格だ。

気を遣ってくれた事と、筆者の久々の帰省もあり、楽しい雰囲気でいたかった

のだと思う。筆者は久々の帰省で少々気を遣っていた為テレビを見ながら、

静かに飲んでいた。しかし少しずつ酔いも回ってきて、楽しくなって会話も

多くなっていった。しかし時刻は21時、子供は帰る時間だ。

おばの妹の娘家族は帰路に着いた。その後小一時間おじ、おば、おばの妹

4人で飲みなおした、そこで少し病気について語った。心配してくれたが

酔っていたのもあり雰囲気は明るかった。そんな会話をして時刻は22時半

筆者は移動の疲れもあり寝る支度をして、23時頃就寝した。

 

そして翌日、目が覚めたのは10時そこそこ寝てしまった。

それと同時に少々二日酔いである、おじとおば妹は仕事へ。

おばは家にいた、その日はやることが決まっている。

少し話が変わるが、筆者の母方の地元が島なのだが親戚、兄弟が異常に多い。

祖母、祖父はもう他界しているが、総数で言えば島だけで40~50はいるだろう。

正直な所、毎年結婚、出産報告がある為筆者も名前を覚えきれていない。

まあその位親戚が多いのだ。話を戻そう。

そうやることは、親戚へお土産を渡しに行くのだ。

早々に準備を済ませ、午前で仕事を終えたおじ、おばと車で出かける。

筆者母の姉2人へ配りに向かった。久々に会ったのもあり少しばかり、

ゆっくりしたかったが、時間もあまりなくゆっくりはできなかったが

手術について心配をしてくれて筆者は非常に嬉しかった。

ちなみに前から記事を読んでくれている方は分かると思うが。

最近後書きで書かせてもらった、鬱になりかけてしまっているのが

そのうちの1人だ、当時はとても元気だった為筆者は信じられなかったが

1年で人はどうなるか分からないものだ。話を戻そう。

その後他渡せる親戚へお土産を配り終える。時刻は16時半

一度おじ宅へ戻る。その夜おば妹家族、含め宴会を用意してくれていた。

少し休憩をしタクシーで向かった。

時刻は17時半。店に着く。筆者達が最初に到着した。

すると5分程経って、おば妹の娘家族がやってきた、その時見たことある顔があった。

と言うのも、おば妹には娘が2人いるのだが長女には子供が3人いる。

上から女、女、男、筆者がまだ高校生卒業してすぐの頃。

島に帰った時一緒に遊んであげた、その時かなり懐いてくれて帰り際号泣

された思い出があった。しかしそれも7年程前の話だ。1番上の子は来年高校生

その下はすでに中学生になったという。おどろきだ、そして末っ子は泣き虫

だったが今じゃ泣くどころか筆者とゲームをすると絶対倒してやると気合十分な

感じだ。しかし7年も経てば昔のようには寄っては来ない。

少し寂しい気持ちもあったが皆それが普通だと思う。

その後皆で酒を交わし、おば妹の孫と写真も撮った。少し暴れてたが、

時刻は21時半、おじ宅へ戻るかと思ったが、

おば妹の娘の店へ行く事になった。

業態はカラオケバーだ、筆者が好きなジャンルだ。

二軒目の話は次回書いていこうと思う。

 

PS

手術の予定が4月にあるのだが、手術前はなぜか色々な人と会いたくなる。

実際、両親の故郷へ行ったのもその一つだったが、筆者はどうにも予定を

詰め込むのが苦手で楽しさと同時に焦りを感じ疲れが出てしまうことがある。

皆予定の管理をするときはどのようにしているのかが気になる所だが、

それが楽しさの代償なのだろうか?

では。

 

 

 

 

 

 

入院前の生活(南国編)

今回は前回の続きではなく、以前書いた入院前の生活(北国編)

それと別で向かった、母親の故郷に帰った話を書こうと思う。

北国編を見てない方は良ければ下から見ていただきたい。

 

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入院前、手術の成功も分からない為、動ける間と長期の休暇もあり

両親の故郷に行こうと思い立った。すぐに飛行機のチケットを取る。

出発二日前に取った為少々値段は張ったがしょうがない。

飛行機は昼前頃の出発だ、正直筆者緊張している。

飛行機に一人で乗るのが、小学生ぶりでここ最近も友人か家族と乗っていたからだ。

いい大人が空港をうろつく、恥ずかしい。しかし手荷物を預ける際自動でかつ

自分でやるようになっていたが、周りの人のやり方をみて何とか預けた。

そして保安検査等を終えて、時間も余っていたのでお手洗い、一服をして、

搭乗口へ向かった。そして東京を飛び立った。

30分程遅れて無事到着した。時刻は14時30分。

飛行機から降りると、独特な島の匂いを感じる、帰ってきたことを感じた。

しかしいつもと違うとすれば、普通に寒いのだ、と言うのも普段夏に帰っていた為

飛行機から降りると海の匂いと同時に熱気があったからだ。

逆にそれはそれで新鮮だった、そして荷物を受け取り空港の出口で迎えを待った。

おじが迎えに来てくれているそうだが、見当たらない。

10分ほど近くのベンチに座っていると10メートル先から視線を感じた。

誰かがずっと見ている、筆者目が悪く遠くが見えないのにも関わらず、当時

カラーサングラスを掛けていたため5秒ほど目を合わせたが違う人だと思い、

ケータイをいじっていた。しかしまた視線を感じる、同じ人だ。

少し近くに行くと、おじであった。申し訳ない、お前どこ見とるんだと言われて

しまったが、見えないものはしょうがない。おじの車で市内へ向かう。

時刻は16時前おじの自宅へ到着する、筆者は飛行機が昼前と言いうのもあり、

一日なにも口にしていない、さすがに腹が減る。しかし嬉しい事におばが

島の料理を作っていてくれた。料理名は控えておくが、鶏を使ったお茶漬けに

近い料理だ。非常に美味しい、腹も満たし、荷物の整理とお土産を渡す。

少し休憩をして、時刻は17時半。おばの妹の娘とその旦那子供も集まり宴会が

始まった。

今日はこの辺で終わろうと思う。

次回も南国編を書いていこうと思う。

 

PS

最近思う事だが、大人になると付き合う友人も

限られてくると思うが、自分が一緒に過ごしていて、楽しい、気が楽

そう思える友人が多いのだが、友人は筆者に対して気を遣ってくれている

から自分が過ごしやすいのだろうか?それともお互いに気を遣わずいれるから

なのだろうか、そんな事をふと思った。

病院内を散歩

前の話⇩

 

asibyouki.hatenablog.com

筆者は厄介な管が取れ、車椅子での移動が出来るようになったのもあり。

少し病院内を散歩することにした。残念ながら病院内から出る事は出来ないが。

気分転換にはなると思い、向かった。まずは出入り口のドアへ向かう。

少しでもいいから外の空気が欲しかったからだ。しかし人の出入りも多いため

早々に引き上げた。次に病院内にあるコンビニに向かった。

しかし病院内にあるコンビニだけあって、品揃えは少し異なる。

手術時に必要なT字帯と言う簡単に言えば術時に履く下着のようなものだ。

あと浴衣など入院生活に必要な物が多く揃えられている。

しかし筆者はなにかジュースなど買おうと思ったが、一つ忘れていたことが。

そう車椅子なのだ、今まで日常で車椅子に乗った人を見たことはあるが、

コンビニで買い物をするだけであんなにも大変だとは思わなかった。

もちろんカゴ持てるはずもなく、必死に手を伸ばしやっとの思いでコーラに手が

届いた。そこからはなるべく下の方にある物を手に取るようにした。

それともう一つは、通路がコンビニは基本的に狭すぎるように感じた。

いくら慎重に車椅子に乗っていても一番下の段のスナック菓子などにタイヤが

当たってしまう事が何度もあった、引っ掛かり落ちる前に気づいたからよかったが

もし落としてしまえば拾うのも一苦労だったと思う。

元々車椅子の人に対して思っていたことはないが、実際自分が乗ってみると

その大変さに気づかされる。 筆者はタバコが吸えないのもあり

チューインキャンディなど紛らわせるものとコーラを買いレジへ向かった。

そしてお会計をする、袋はどうするか?聞かれたが物が少なかった為もらわなかった。

しかし後で後悔する、膝に品物を置きながら、両腕で車輪を回す、これが

なかなか難しい、そしてもう一つ、筆者の病室に向かうまでの渡り廊下が

若干の坂になっているこの坂はずっとこぎ続ける必要がある、ここが一番

しんどかった。しかし勢いを付け何とか超えた。やっとの思いで病室に帰ろうと

したとこと、廊下でなにやら患者らで談笑している、筆者も声を掛けられた。

そこでまた新たな出会いがあった。

今回はここまでにしておこう。

 

PS

最近親戚の叔母が少し元気が無いそうだ。

鬱に近しい物が話を聞くとあるのだが、病院に行く気力も無いそうだ。

一年前筆者が会った時はそんな風には見えなかったが、

それから少し経った頃からだそうだ。

どうにか元気になってほしいが何か良い事はないだろうか?